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2024/03/29 01:06 |
応仁大転封 プレイ日記
 さて3回目となる信長の野望。
 今回は隠しシナリオ”応仁大転封”をプレイしてみようと思う。

 このシナリオは、応仁の乱のときに、大名の配置換えを行った設定になっており、それぞれの大名家がありえない場所に存在している。

 例えば九州の大名 大友が東北。
東海一の弓取り今川が越後。
 甲斐武田が関西、尾張織田→土佐、越後長尾→中国地方。
というように全然戦略が変わってきてしまうのだ。

 で、せっかく四国にいるから織田でプレイする(笑)

 
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2006/03/24 10:57 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記
革新・隠しシナリオへの道
 ガンダムが一息つける状態になったので、信長の野望に戻ろうかと思う。
 まだ新作を買う予定ないしね。

 さて信長の野望には4つの隠しシナリオがあるという。

”六文銭戦記”・”応仁大転封”(正しくは覚えていない)・”天下布武”・”長篠の戦い”

 があるそうです。
「長篠の戦いは技術コンプが条件らしいので、クリア直前の織田家を呼び出してみます。」

 「クリア直前の”さくら”さ~ん!」

2006/03/23 12:08 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記
林則嘉
 副軍師の林ちゃんです。
 彼は食い逃げで捕まり、太守竜我雷の婚儀のおり恩赦で解放されますが、行く当てもなく行き倒れ寸前になっているところを、太守の奥方の付人である、蘭々に拾われ城で働くようになります。
 とある事件をきっかけに軍師大覚屋師真に才を見出さされ、副軍師としてライの偽帝討伐戦に参戦します。
 金州海の合戦ではライの師、狼刃元帥の一騎打ちの挑発に乗ろうとしていたライを体を張って押しとどめます。
 あのうだつのあがらない風采からは想像できない行動ですが(笑)

 結構危険な事をする人なんですよねえ。 実は。
師真とともに書庫を押さえるために 戦闘中に戦場におりたり、夏侯才の突撃を受けたり・・・
 
 猪突猛進型の項武の副官として西羌軍の迎撃戦に出陣したり、後の南征では五丈・西羌の連合部隊の副官(実質的には指令官だが)として若き将、秦公旦を補佐する。

 最終的には丞相にまでなり、さらに太子”竜貴”の教育係まで申し付けられるようになる。
 一兵卒から皇帝まで駆け上がったライは別格として、囚人から丞相まで出世したわけだから大出世だろうなあ。

2006/03/16 14:11 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記
大覚屋師真
 大覚屋師真(以下師真と表記)は、銀河戦国群雄伝ライにおいて、主人公であるライと双璧をなす重要人物です。
 五丈国の南方に位置する星、南京楼。
南蛮との取引で栄えてきた感のあるこの都市のトップクラスの豪商の長男として生を受けた師真は、タダの放蕩息子で、金に物を言わせて遊び放題をしていました。
 しかし、師真は天下に並ぶもののない”知”の持ち主であり、それを発揮する場を求めていたのだと思われます。
 南京楼に太守として赴任してくる事になる、竜我雷との出会いが、その後の人生を大きく変える事になります。
 南京楼軍の軍師として向かえられた師真ですが、鐘士元ら武官からは白い目で見られていました。
 「商人風情になにができる!」
というものですね。

 これは歴史上においてもそうですが、武将というものはどうしても内政官を軽視しがちですし、嫌悪もします。
 (徳川でいえば、本多正信・正純親子、豊臣でいえば石田三成といったところは軍閥との軋轢がありましたね。)

 師真は、ド派手な演出をする事でそれを打開することに成功します。
それは宇宙に浮かぶ要塞を火攻めにすることでした。

 これは効果的で、それまで師真の才を疑っていた者たちは、以後師真の命令を素直に受け入れることになります。
 
 という事ができる人なので、新武将として作成する際の習得戦法は”火牛”にしました。
 これしかないでしょう?

2006/03/06 11:31 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記
竜我家 編 回顧
 2プレイ目の竜我編ですが、実際にはまだプレイ中ではあります。
 ですが、これ以上は書く必要がない状態なんですよね。

 島津に負ける要素はすでにないですし・・・
あとは技術開発を全部開発してシナリオを出せばよいかなという感じです。
 多分島津も、最初の前線を突破してしまえば、後方はスカスカでしょうし。
 場合によっては主力で港を攻めている間に、”別働隊で後方の港を襲う”という戦法もありかなと思ってます。
 狙いは島津発祥の地、薩摩です。
薩摩から襲われたら・・・島津は焦りますよ(笑)

 前回織田で、包囲網の脅威にさらされてきたので、蝦夷・竜我プレイは簡単すぎました。
 シナリオ4では武田・上杉が脅威ではなく、相手が弱い・・・
シナリオ1でやったらまた違ったんでしょうね。
 でも今度は、仮想シナリオでプレイしたいと思っています。
が、その前に 機動戦士ガンダム クライマックスUCを先にやることになりそうです。
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2006/03/03 10:39 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記
包囲されない包囲網 
 里見を攻め滅ぼし、北条を勧告で下した竜我軍。

 次なる目標は徳川および、上杉の残党と真田。
なんて思っていたら真田家から同盟を求める使者が。
 
 竜我ライ「同盟か。 受けない事はないがな・・・」

 使者「まことでござりまするか?!(内心喜ぶ)」

 竜我ライ「ただし、真田家の次男・・・真田幸村殿を人質に差し出してもらう」

 使者「なんですと! 幸村さまを?!!」

 竜我ライ「聴くところによれば、幸村殿は天下に並ぶものがないほどの戦上手とか。 ぜひ我が軍のひ弱な武将たちの手本になってもらいたいのだ」

 使者「しかし・・・」

 竜我ライ「まあ、出せぬというのなら・・・」

 使者「分かり申した。 真田家のため、その条件のみましょうぞ」

 ということで幸村を人質にとり、真田家の翼をもぎ取った上で同盟。
逆に同盟の切れた最上は勧告し、支配下に収める。

 信州を真田が押さえているので、竜我軍の侵攻ルートは2つ。
北陸道と東海道になる。

 北陸道からは、伊達政宗・最上義光・津軽為信を中心とした東北選抜。
東海道からは竜我雷率いる本隊が侵攻する。

 北陸方面軍が、越中まで進出、上杉を美濃・飛騨まで押し込み、いよいよ佐々家(旧柴田家)と織田家と国境を接することになる。

2006/03/02 12:46 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記
その4 後顧の憂いがないと・・・
 さて蝦夷からスタートした竜我軍。
 破竹の勢いで、津軽・南部・伊達を撃破。 最上とは同盟を組み、技術を吸収しながら南下していく。

 項武「おらおらおら・・あ!! 項武様のお通りだあ!!」

 林則嘉「項武殿、突出しすぎですぞ!」

 項武「うわあ・・・奇襲だ!」
 
 林則嘉「ほらいわんこちゃない。 大丈夫ですよ。 コレくらいは読んでます。」

 武の項武、知の林則嘉の二人は次々と敵を撃破していく。

 ライ「順調のようだな。 ここのところ技術開発ばかりで戦場にでてないから体がなまっちまうよ」

 師真「東北から関東にかけての間で、敵になりそうな武将はほとんどいないからなあ。 項武で十分だろう。 佐竹・相馬あたりは1年もかからんな。」

 ライ「正宗はどうした?」

 師真「独眼竜なら宇都宮に篭っているって話だ。」

 ライ「宇都宮(笑) なんだかずいぶん都落ちをしたな」

 師真「そろそろ勧告してよいと思われます」

 ライ「三楽斎に任せよう」


2006/02/28 17:26 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記
竜我家 武将紹介 その1 竜我雷
 現在のプレイ日記で使用しているオリジナル武将の紹介です。

 竜我雷

 原典は、真鍋譲治先生の”銀河戦国群雄伝ライ”の主人公、竜我ライです。
 
 原作では1兵卒から出生街道を駆け上がり、最終的には皇帝にまでなります。

 序盤では位が低かったこともあり、”武勇のみ”秀でていた感じでしたが、師団長→太守となっていくうちに統率力の高さを発揮していた感があります。
 権力を握ってからは腹黒さというか、謀略への才能も発揮、政治力もなかなかでした。

 それを踏まえ、統率力・武勇は100、政治力75、智謀83という数字に設定。
 出自は庶民で、息子は二人(竜貴と、ジャムカといい、ジャムカのほうはとある事情から父親であるライを憎んでいるという設定があるので、嫌悪武将を”竜我雷”にしてあります)

 信長の野望内では、蛎崎家に流れついたこの竜我雷がアイヌとの紛争で大活躍。
 南部家に攻められた際も竜我雷の活躍で撃退し、重臣になったという設定にしてます。

 あとはプレイ日記でも触れた事情により、蛎崎家を継いで天下を目指すということになっています。

 1582年 本能寺の変の時代は、流れが変わる時期ですので、新武将
でやるにはちょうどよい時代背景かなと思いました。

 
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2006/02/27 10:33 | Comments(2) | TrackBack() | 革新プレイ日記
本能寺の変 ~信長の野望の終焉~
ちょっとリプレイはブレイクして本能寺の変についてでも書いてみようかなと思います。

 本能寺の変とは1582年6月、京都の本能寺にわずかな供回りを連れて宿泊していた織田信長を重臣”明智光秀”が襲撃した事件の事です。

 歴史上大きなターニングポイントになった出来事の一つですよね。

 教科書でも必ず取り上げられるものです。

 これがなければほぼ確実に織田家の天下になったでしょうけど、もしかすると他のところで同じようにやられてしまったかもしれません。

 明智光秀はなぜ主君を討ったのか?

 これは未だに解明されていません。
というより永遠の謎なのではないでしょうか。
 本人に会って聞くか、本人を呼び出すかしないと駄目でしょう(笑)

 一応 諸説ありますが・・・

1・怨恨説

2・幕府陰謀説

3・朝廷(天皇)陰謀説

4・秀吉・家康 陰謀説

 といったところが候補なのかな?

1・怨恨説はもっともらしい説ですが、私としては少々弱い説な気がします。

 大体がこういう話は 権力者に都合がいいように作られるものです

 簒奪者である羽柴秀吉が、自分に都合のいいようにしたものでしょう。
明智光秀一人を悪者にすれば自分は主家簒奪の汚名を被る必要がなくなりますからね。

 同盟国とはいえ、実際は従属していたような徳川家も同じです。
結局は豊臣政権から簒奪しているわけですから、都合のいいように歴史を作り変えていた可能性は十分あります。

 ましてや徳川時代は長いわけですから、情報操作は簡単でしょう。

このあたりのことから、この怨恨説はどうもしっくりしませんね。

 また、秀吉や家康も関わっていたとしたら、それを隠すために明智を悪者にするのは当然のことなのかもしれませんね。

 
 この辺りの話は好きなので、ちょこちょこ書いておこうかと思います。
  
 



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2006/02/24 15:37 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記

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