「だ、大丈夫かなあ……」
緊張した面持ちの榎本綾は、入場ゲートの後ろで落ち着きなく体を動かしている。
「大丈夫。今の綾なら心配ないと思うな」
現在、二代目社長秘書を務めている元トップレスラーの武藤めぐみは笑顔で答えた。
「そうかなあ。むとめさん、本当にそう思う?」
「ええ。以前の綾ならともかく、今の綾なら大丈夫。ここのところ市ヶ谷と組まされていたから、鍛えられてるからね」
武藤の現役時代を知っている者なら目を疑うような光景だが、社長秘書就任後の”むとめ”さんなら当たり前の光景だ。
「でも、メインイベントだから不安だよお」
「何言っているの。メインイベント初めてじゃないでしょ?」
「そうだけど~。でもいつもはタッグだし、シングルじゃないもん」
今日はNEW WINDの新世代にスポットを当てた、若手のチャレンジマッチオンリーの興行。若手選手たちがそれぞれのテーマを持って、実力者たちへ挑むというイベントだ。
榎本綾は現在ジュニアシングル王座保持者であり、先輩のビューティ市ヶ谷と組んでタッグ王座も保持していることから、メインイベントに配置されている。
実績からいえば抜擢とはいえず、むしろ順当ともいうべき試合順ではあるが本人の意識はそうではない。
「そうだっけ? でもシングルでもタッグでもメインに出る緊張感は変わらないと思うけどな」
「そんなことないもん。すっごく緊張しているし、こ・怖いもん」
肩をすくめる榎本。
「私からいえることは、楽しんでくればいいってことだけかな。せっかくのメインだし、今までの成果を思いっきりぶつけておいで。誰もあなたが勝つとはおもってないわけだし、どれだけ頑張ってくれるかということを皆見に来ているんだよ。気楽なもんじゃない」
「そ、そうかなあ……」
先程よりは緊張が消えたものの、未だ榎本は不安そうな顔のままだ。
『青コーナより、リトル・ビューティ 榎本綾選手の入場です!』
リングアナウンサーの声が聞こえ、榎本の入場テーマがかかる。
「ほら、出番だよ。頑張っておいで。試合終わったら、美味しいケーキの店連れていってあげるから」
「ホント?」
「ホント、ホント。ほら、早くいきなさい」
「は~い。綾がんばるっ!」
榎本はとてとてと入場ゲートに向かった。
「やれやれ、疲れるわ~。あの子の相手をするよりも、自分が1試合するほうがよっぽど楽ね」
武藤は右肩をぐるぐる回し、肩こりを気にする。
「とりあえず持ち直したけど、あの子……対戦相手を聞いたら、また不安顔になっちゃうんだろうな……」
このイベントでは若手選手の登場順番だけ事前に発表されており、対戦相手は発表されていない。
「だろうな。だがそれを乗り越えて、何を見せてくれるかがこのイベントの楽しみなところなんでな」
榎本は自分の対戦相手を知らないままリングに上がっている。間違いなく不安顔にはなるだろうが、それを乗り越える強さは持っているはずだ。
「社長、それはわかってますけど、綾にはきついんじゃないですか?」
「いや、武藤が思っているほどあの子は弱くはない。きっといい試合をしてくれるはずだ」
「だといいですけど……」
まもなくリングアナウンンサーが、榎本の対戦相手を呼び込む。榎本と場内の観客はその瞬間に対戦相手をしることになる。
『赤コーナーより……』