「いけいけ榎本!」
「麗華様~遠慮せずにやっちゃってください!」
いつの間にか会場の声援は半々になっている。榎本のここまでの健闘がファンの心をつかんだのだろうか。変則ルールとはいえ、榎本がはるか格上の市ヶ谷相手にここまでやると思っていたのは多くはないだろう。
「えいっ!」
「くっ!」
榎本は丸め込み技でのカウント狙いと、市ヶ谷の左腕への打撃技および関節技を用いての集中攻撃の併用し、市ヶ谷を苦しめる。さすがの市ヶ谷もカウント2ギリギリで返すシーンが増えてきている。
「それにしても、榎本はいつのまにこんなに多彩な技を使えるようになったんでしょうね」
脇固めもそうだが、飛びつき腕十字・キーロック・腕へのドラゴンスクリュー、裏十字……と今まで使っているところを見たことがない技ばかりこの試合で飛び出している。
「南ですよ」
ダンディさんはそう短く答えた。
「南ですか? 南と榎本の接点はないはずですが……」
だいぶ前に引退した南と、現役の榎本は世代が離れている。南が何かをレクチャーするようなことがあっただろうか?
「利美君ではありませんよ。まあ、利美君の影響もないとはいえませんが、今もまだスカイブルーのリングには南がいるじゃないですか」
「……なるほど。智世のことですね」
南智世は、すでに引退した南利美およびハイブリット南(南寿美)の妹で、以前には市ヶ谷からベルトを奪ったこともある実力者だ。今もトップ戦線に顔を出していることもあって、市ヶ谷とタッグを組むことが多い榎本は、必然的に智世と試合することが多い。
「手ほどきこそはしておりませんが、試合をしている間に相手から学ぶことが多いのもプロレスです。榎本も意識しているわけではなく、自然と体が覚えている技をだしているだけだと思いますな」
昔を思い出せば、南にさんざん関節で痛い目にあった後輩たちが、さらに後輩たちに対して南から喰らった技を繰り出していったものだ。もちろん南だけでなく、他の選手の技も現在も脈々と受け継がれている。
「技の継承……か」
「まあ受け継がれているのは技だけではありませんがね。”魂”も受け継がれていますよ。見てください……何度倒れても歯を食いしばって強敵に向かっていくあの榎本の表情。誰かにそっくりじゃないですか」
「まだまだあああっ! てええええいっ!!」
「……相羽……か」
榎本の顔に、スターライト相羽の表情がかさなる。才能には恵まれてはいなかったが、自分より強い相手でも必死に向かっていき、何度跳ね返されても努力と根性で乗り越えていった相羽は後にMAX WIND女王の座をつかむまでに成長したものだ。
「麗華様っ、覚悟っ!!」
市ヶ谷のラリアットをかいくぐった榎本は、市ヶ谷の腰に手を回すと、バックドロップで投げ飛ばした。
「うおおおおおっ!」
場内から金星を期待する声があがる。
「フォール!」
榎本は両足で市ヶ谷の左腕を抑えながら、フォールする。
「OK、ワンッ! ト・・・・」
「あぐっ……」
榎本がうめき声をあげた。
「あああっ!」
「右腕!」
カウント2寸前で市ヶ谷は右手で榎本の顔面を鷲掴みにし、フォールを返したのだった。
「Booooooo!」
「市ヶ谷きたねーぞ!」
場内から大ブーイング。
「おだまりなさい。私は一切右腕を使わないとは言っていませんわ。私は、こう申し上げたはずですわ。”この試合、ある程度までは片手を……右腕を使わないで戦って差し上げますわ”と」
確かに……市ヶ谷は一切使わないとは言っていなかったが……。
「サービス期間は終了しましたわ。オーホッホッホ!」
高笑いとともに、アイアンクロースラム、そして……両腕を使っての必殺のビューティボムがさく裂。
「これを返すことはできないだろう……」
「ワ~ン~ トゥ~」
ミスターDENSOUの右腕が振り下ろされる寸前に、榎本の肩が上がった。
「うおおおおおおおっ!」
観客の歓声と重低音ストンピングが会場を揺らす。
「なっ……」
必殺の一撃を返された市ヶ谷は、驚いた顔で、榎本を見る。
「……へへ……返した…………よ」
榎本は状態をお越し、してやったりとかすかに笑みを浮かべたように見えたが、そのまま気を失ってしまった。
カン! カン! カン!
「ただいまの試合は25分48秒、25分48秒……ノックアウトによりビューティ市ヶ谷選手の勝利です!」
試合終了のアナウンスが流れても市ヶ谷は榎本を見下ろしたまま微動だにしなかった。
「綾っ!」
秘書の武藤がタオルを持ってリングに飛び込み榎本を介抱する。
「綾、大丈夫? 綾?」
少しして気が付いた榎本は、武藤の呼びかけに対し……
「う、うん……だ、大丈夫だよ、むとめさん。それよりケーキ食べたい……」と応えた。
「バカっ! 心配してそんしたわ……ちゃんと連れて行ってあげるから安心しなさい」
「……約束だからね」
再び気を失った榎本を市ヶ谷が無言で抱きかかえる。
「ちょっと麗華?!」
「何もしやしませんわ。忘れてもらってはこまりますわね。この子は私のパートナーなんですのよ」
市ヶ谷は榎本を背負うと、そのまま退場していく。場内からは師弟の絆に大きな拍手が巻き起こった。
この日スカイブルーのリングに確かに新たな風が吹いたと、私は感じていた。
「もしかしたら、本当の意味で榎本がプロレスラーになったのかもしれませんね」
かつてスカイブルーのリングを彩った選手たちの魂が、榎本にも宿っている。私は、それがうれしかった。彼女が、南や相羽、武藤のようなレスラーになれるとは思っていないが、これから先が楽しみである。
~綾の挑戦・終~