月山富田を落とし、港も落とした織田軍はそのままの勢いで鳥取城をも飲み込む。
鳥取城を落としたところで、ついに長尾家が泣きを入れてくる。
さくら「長尾家より同盟の使者が参っておりますが」
信 長「同盟? 和睦の間違えであろう」
さくら「和睦の方が正しいかと」
信 長「まあよいわ。 で、長尾は誰が参った?」
さくら「は、長宗我部元親どのござります」
信 長「ほう。元親とは、またずいぶんと切れ者を送りこんできたのう」
さくら「は。現在の元親殿は長尾家の重鎮、筆頭家老でございます」
鳥取城を落としたところで、ついに長尾家が泣きを入れてくる。
さくら「長尾家より同盟の使者が参っておりますが」
信 長「同盟? 和睦の間違えであろう」
さくら「和睦の方が正しいかと」
信 長「まあよいわ。 で、長尾は誰が参った?」
さくら「は、長宗我部元親どのござります」
信 長「ほう。元親とは、またずいぶんと切れ者を送りこんできたのう」
さくら「は。現在の元親殿は長尾家の重鎮、筆頭家老でございます」
結局織田=長尾同盟は織田が長尾より人質をとることで成立。
織田家としては強国武田に有能な武将を集めて戦いを挑みたかったし、すでに長尾など眼中になく、無理に戦うよりも威圧するという考えである。
それに技術が欲しい。
だが、同盟する事によって滅びかけていた長尾家が盛り返すのは避けたいので、長尾の重鎮、元親を人質にとるという戦略をとった。
さて武田との同盟も切れ、織田軍はかれこれ12年間避け続けてきた武田との1大決戦に及ぶことになる。
時に1567年6月。
織田軍は、熊野港から北条氏康以下旧北条家臣団で構成される5万の軍勢で雑賀城(兵力5千)を攻める。
さらに今治港から前田利家率いる6万が武田領岡山を目指して海路より進発。
そして大軍を用意しておいた広島港から信長本隊10万で吉田郡山城(8万)へと進軍を開始する。
安全国からはそれぞれの前線へ兵を送りこむ。
さらに長尾領を経由して丹波建部山へ信長の長男信正(元服直後)35000。
これは長尾家からの援軍要請によるものだが、援軍到着前に落城したので、逆に攻める形に。
雑賀、播磨、建部山は苦戦する事なく落とすが、一番の問題は吉田郡山。
織田も自慢の騎馬鉄砲隊を繰り出すも、武田ご自慢の騎馬隊の突撃で崩れる崩れる。
山県・真田昌幸・黒田官兵衛らに加え猛将ぞろいの武田軍。
兵力8万、精鋭揃いの武田騎馬軍団は伊達ではない。
半年たっても落ちない。
が、その間に落とした港から岡山城を別働隊が急襲。
これで援軍にきていた部隊が撤退し、流れが変わる。
両軍戦死者を多数出し、激闘1年。
1568年6月 ついに吉田郡山城は落城し、武田軍は戦力の3分の1を失ってしまった。
武田騎馬軍団は要である騎馬を大量消耗し、さらに主要な武将がとらえらるという大損失。
この大敗は東部戦線での武田軍の作戦にも影響し、大友軍の台頭を招くことになる。
織田も鉄砲・騎馬を大量消耗し、進軍計画は立て直しを迫られるのであった。
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織田家としては強国武田に有能な武将を集めて戦いを挑みたかったし、すでに長尾など眼中になく、無理に戦うよりも威圧するという考えである。
それに技術が欲しい。
だが、同盟する事によって滅びかけていた長尾家が盛り返すのは避けたいので、長尾の重鎮、元親を人質にとるという戦略をとった。
さて武田との同盟も切れ、織田軍はかれこれ12年間避け続けてきた武田との1大決戦に及ぶことになる。
時に1567年6月。
織田軍は、熊野港から北条氏康以下旧北条家臣団で構成される5万の軍勢で雑賀城(兵力5千)を攻める。
さらに今治港から前田利家率いる6万が武田領岡山を目指して海路より進発。
そして大軍を用意しておいた広島港から信長本隊10万で吉田郡山城(8万)へと進軍を開始する。
安全国からはそれぞれの前線へ兵を送りこむ。
さらに長尾領を経由して丹波建部山へ信長の長男信正(元服直後)35000。
これは長尾家からの援軍要請によるものだが、援軍到着前に落城したので、逆に攻める形に。
雑賀、播磨、建部山は苦戦する事なく落とすが、一番の問題は吉田郡山。
織田も自慢の騎馬鉄砲隊を繰り出すも、武田ご自慢の騎馬隊の突撃で崩れる崩れる。
山県・真田昌幸・黒田官兵衛らに加え猛将ぞろいの武田軍。
兵力8万、精鋭揃いの武田騎馬軍団は伊達ではない。
半年たっても落ちない。
が、その間に落とした港から岡山城を別働隊が急襲。
これで援軍にきていた部隊が撤退し、流れが変わる。
両軍戦死者を多数出し、激闘1年。
1568年6月 ついに吉田郡山城は落城し、武田軍は戦力の3分の1を失ってしまった。
武田騎馬軍団は要である騎馬を大量消耗し、さらに主要な武将がとらえらるという大損失。
この大敗は東部戦線での武田軍の作戦にも影響し、大友軍の台頭を招くことになる。
織田も鉄砲・騎馬を大量消耗し、進軍計画は立て直しを迫られるのであった。
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