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2024/11/28 12:55 |
応仁大転封 その7 同時多発攻撃
 織田軍は現在70万の大軍。
 このゲームちょっとバランスおかしいのでは?
現在の人口と当時の人口は違うんだよなあ。
 関が原でも東西で15万程度でしょ?
ちなみに織田軍70万というのは残りの大名家を全部足したのと同じ位の戦力って事なんだよね。
 大友30万 武田20万 長尾7万 今川2万 毛利7万 伊達3万 関東足利5万 あと雑魚が多少。

 全国で140万の兵がいるわけだが、当時の日本の人口をとても無視しているように見えるんだけど・・・ 
 さて、数で圧倒的に勝る織田軍。
 九州に6万 四国に7万を残してきているので、前線には60万近い兵力が残っているわけだ。
 そのうち長尾家との前線になる鳥取城・月山富田に15万ほど残しているので対武田で使える兵力は35万というところ。
 山陽道岡山まで進行した織田軍はここで兵力を活かした作戦に出る。
 山陽道 姫路へ柴田勝家率いる15万であたり、四国より堺港へ向けて信長率いる10万を送りこむ。
 
 さらに熊野港へ四国統治を任せている佐久間信盛軍団から馬・鉄砲などを輸送させ、次回の攻略作戦の準備をさせる。

 姫路には4万ほど残っているが、馬が少ないし、なによりも武田は米がない。
 援軍を送るのが厳しい状況を見越した織田信長の軍略は大したものだ。

 柴田勝家以下、織田の誇る精鋭たちが姫路を攻める。
援軍を送るのが厳しいと読んでいたのだが、それでも石山御坊から援軍を送ってくる。
 が、問題にならない。

 あっさりと姫路を落とした織田軍は戦場では使えない武将たちに開発を任せ、勢いそのままに石山御坊を攻める。
 すでに連戦で兵力を消耗している武田だったが、真田幸隆・昌幸親子の奮闘で粘る。
 も奮闘むなしく敗れる。

 さらに織田軍は勢いにのり、温存しておいた建部山城から3万で八上城(5千)を攻め、落としたばかりの石山御坊から室町御所、八上城へと5万づつで進行。

 堺港の本隊は、室町・筒井・岸和田の3箇所に分かれて攻撃。
さらに雑賀から筒井にも兵を送る。

 八上・室町・岸和田・筒井の4箇所を同時攻撃という形。
兵糧不足の武田は援軍を送る事もままならず、分断され、各個撃破されていく。
 そもそも前線以外の城は兵力が5千程度しかいないし。

八上城だけは鉄砲櫓に囲まれているので兵力が少なくても大分消耗させられるも、全部半年以内で落城。

 一方内政面ではようやく山口館・吉田郡山・月山富田・鳥取城の開発が終了。
 そこに回しておいた人材を岡山・姫路・石山に回す。
開発が終われば岸和田・筒井・室町・八上に回す予定。

 とにかく余計な建物は壊し、水田に変える。
畑もドンドン水田に変える。
 でないと織田の米事情は厳しいままだから。
それでも二期作&灌漑のおかげで兵糧に困る事は大分少なくなってきてはいるのだが。
 
 さて前線はというと、筒井城から亀山城(武田)を、熊野港から鳥羽港(伊達)を。
室町御所から小谷城(武田)を。
 筒井・室町から観音寺城(武田)を同時多発攻撃。

 それにしても鉄砲が足らない・・・ぞ。
 
 
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2006/04/04 11:13 | Comments(0) | TrackBack() | 革新プレイ日記

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