ガンダムが一息つける状態になったので、信長の野望に戻ろうかと思う。
まだ新作を買う予定ないしね。
さて信長の野望には4つの隠しシナリオがあるという。
”六文銭戦記”・”応仁大転封”(正しくは覚えていない)・”天下布武”・”長篠の戦い”
があるそうです。
「長篠の戦いは技術コンプが条件らしいので、クリア直前の織田家を呼び出してみます。」
「クリア直前の”さくら”さ~ん!」
まだ新作を買う予定ないしね。
さて信長の野望には4つの隠しシナリオがあるという。
”六文銭戦記”・”応仁大転封”(正しくは覚えていない)・”天下布武”・”長篠の戦い”
があるそうです。
「長篠の戦いは技術コンプが条件らしいので、クリア直前の織田家を呼び出してみます。」
「クリア直前の”さくら”さ~ん!」
さくら「は~い、こちらはクリア直前の織田家にやってきました。リポーターの神楽坂さくらです」
さくら(まじめに)「時に1582年2月。
天下をほぼ手中に収めた尾張左大臣・織田信長は、最後まで抵抗を続けた九州の雄”島津家”を肝付城ただ1城、兵力1万5000まで追い詰めていた。」
信長「ふむ。たわいのない。 島津も哀れよのう。」
半兵衛「信長様、もはや戦はこれまでかと存知まする。 天下統一などいつでもできまする。 ここは・・・」
信長「なんじゃ半兵衛。 はっきりいわんか!」
半兵衛「はっ。 天下を統一したものは過去にもおりまする。 ここで統一したとて、先人に並ぶのみ。 されば、技術を統一し、織田の文化を日本の国に普及させ、文化でも統一してしまうのです。」
信長「ほう。天下を統一するだけでは手ぬるいと申すか。」
半兵衛「手ねるいとは申しませぬが、天下は織田のものだが、馬術では武田にはかなわぬだとか、国作りでは北条にかなわぬ。 などと後世言われましては信長様の偉業を汚すことになりまする。 そは、思いませぬか?
氏康殿、勝頼殿」
北条氏康「(ギクリ)・・・なにを申されるかと思えば、はは半兵衛殿誰もそのような事は・・・の、のう勝頼殿」
武田勝頼「ま、まったくでござる。 半兵衛殿もお人が悪うございまする我らはいまや織田一将でござりますれば、そのような事は・・・」
信長「半兵衛、各地より秀でたものをこの佐土原に集めよ。島津の目の前で、全ての技術を統一してやろうではないか!」
半兵衛「御意のままに」
こうして1582年2月、織田信長は文化統一宣言を発し、技術革新を推し進める事になった。
鉄砲技術・内政技術・築城技術の順で極めていく。
船舶・兵器・・・と推し進めていく織田家。
この技術革新の間に、北条氏康・吉川元春・清水宗治・小早川隆景・娘婿の蒲生氏郷・股肱の臣、毛利新介・佐々成政・ 徳川四天王の酒井政次・井伊直政、そして前田利家が次々とこの世をさっていった。
時に1604年1月。 文化統一宣言から22年。ついに織田信長は念願の文化統一を果たす。
提案した竹中半兵衛には死期が近づいていたし、織田信長もすでに齢70になろうとしていた。
信長「長かったのう。 半兵衛」
半兵衛「おお、なんとか見届けることができましたか。 文化統一をみれずに死ぬ覚悟をしておりました。」
信長「半兵衛、まだ終わったわけではないぞ。 最後の仕上げが残っておる。 7万5千で篭る、島津を討つ。 支度せい!」
半兵衛「御意。輿に担がれ、最後のお供をいたしまする」
1604年3月 織田信長は島津討伐の為28万の大軍を率いて最後の戦場へと向かうのであった。
~了~
長篠の戦いでました。
天下布武は携帯で落とします(笑)
さくら(まじめに)「時に1582年2月。
天下をほぼ手中に収めた尾張左大臣・織田信長は、最後まで抵抗を続けた九州の雄”島津家”を肝付城ただ1城、兵力1万5000まで追い詰めていた。」
信長「ふむ。たわいのない。 島津も哀れよのう。」
半兵衛「信長様、もはや戦はこれまでかと存知まする。 天下統一などいつでもできまする。 ここは・・・」
信長「なんじゃ半兵衛。 はっきりいわんか!」
半兵衛「はっ。 天下を統一したものは過去にもおりまする。 ここで統一したとて、先人に並ぶのみ。 されば、技術を統一し、織田の文化を日本の国に普及させ、文化でも統一してしまうのです。」
信長「ほう。天下を統一するだけでは手ぬるいと申すか。」
半兵衛「手ねるいとは申しませぬが、天下は織田のものだが、馬術では武田にはかなわぬだとか、国作りでは北条にかなわぬ。 などと後世言われましては信長様の偉業を汚すことになりまする。 そは、思いませぬか?
氏康殿、勝頼殿」
北条氏康「(ギクリ)・・・なにを申されるかと思えば、はは半兵衛殿誰もそのような事は・・・の、のう勝頼殿」
武田勝頼「ま、まったくでござる。 半兵衛殿もお人が悪うございまする我らはいまや織田一将でござりますれば、そのような事は・・・」
信長「半兵衛、各地より秀でたものをこの佐土原に集めよ。島津の目の前で、全ての技術を統一してやろうではないか!」
半兵衛「御意のままに」
こうして1582年2月、織田信長は文化統一宣言を発し、技術革新を推し進める事になった。
鉄砲技術・内政技術・築城技術の順で極めていく。
船舶・兵器・・・と推し進めていく織田家。
この技術革新の間に、北条氏康・吉川元春・清水宗治・小早川隆景・娘婿の蒲生氏郷・股肱の臣、毛利新介・佐々成政・ 徳川四天王の酒井政次・井伊直政、そして前田利家が次々とこの世をさっていった。
時に1604年1月。 文化統一宣言から22年。ついに織田信長は念願の文化統一を果たす。
提案した竹中半兵衛には死期が近づいていたし、織田信長もすでに齢70になろうとしていた。
信長「長かったのう。 半兵衛」
半兵衛「おお、なんとか見届けることができましたか。 文化統一をみれずに死ぬ覚悟をしておりました。」
信長「半兵衛、まだ終わったわけではないぞ。 最後の仕上げが残っておる。 7万5千で篭る、島津を討つ。 支度せい!」
半兵衛「御意。輿に担がれ、最後のお供をいたしまする」
1604年3月 織田信長は島津討伐の為28万の大軍を率いて最後の戦場へと向かうのであった。
~了~
長篠の戦いでました。
天下布武は携帯で落とします(笑)
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