南 利美 回顧録2”Toshimi” より。
※このお話はレッスルエンジェルスサバイバーのプレイ結果から管理人Nが創作したものです。
このお話は”南利美視点”で書かれています。
いつもの風間社長視点ではないのでご注意ください。
この辺りを了承の上”つづき”をご覧になってくださいね。
※※なお今回のお話は、レッスル社長検索代表 浜岡さんのリクエスト作品です。※※
※このお話はレッスルエンジェルスサバイバーのプレイ結果から管理人Nが創作したものです。
このお話は”南利美視点”で書かれています。
いつもの風間社長視点ではないのでご注意ください。
この辺りを了承の上”つづき”をご覧になってくださいね。
※※なお今回のお話は、レッスル社長検索代表 浜岡さんのリクエスト作品です。※※
ご無沙汰しています、元NEW WINDの利美です。
熱心なファンの方からは、今でもファンレターをもらう事があります。
引退した私ではなく、ぜひ現役の選手に送ってあげてね。
でも嬉しいわ、ありがとう。
こうやって何かを書くというのも久しぶりな気がするわ。
私が引退したのが8年目の2月だったわね。引退直後に書いた回顧録以来かしら。
あれから3年と少しの時間が経って、NEW WINDがNo1団体になったわね。これで旗揚げした時のあの人の目標が達成されたのね。
もっとも旗揚げした時のメンバーは誰も現役ではなかったけれど。
完璧に目標通りとはいかなかったけど、まあ悪くはないわね。
さて、今回は特別寄稿として、“レッスルプレジデントサーチ”の浜岡代表からの依頼を受けて、筆をとっています。
私なんかでいいのかしら?
依頼内容は、“今だから明かせる裏話をしてくれないか?”だって。
そりゃあ裏話はいくらでもあるわよ。
だいたいあの人の長期連載手記をずっと読んでいたけど、カッコよく書きすぎだしね。あの人はあんなにカッコよくはないわ。
手記でのあの人はたんなるカッコつけよ。
だいたい、いつも自分勝手にカード決めてるくせに、さも相談したかのように書いてるんだから。
ま、実際大きなカードだけはマッチメイク会議を開いていたけど。
“師弟”ってことで大きく取り上げられた遥と舞のコンビだけど、あれだって勝手に舞のコーチにするって決めて大変だったのだから。
遥は悩みすぎて、メール打ちすぎで腱鞘炎気味になるわ、舞はうるさいわで・・・
もっとも結局はあの人の読み通り、その後のNEW WIND大河ドラマの中心的な役割を担うようになったけどね。
同期のいない舞を上のステージに引っ張りあげるにはいい役目だったのかも。
でも弊害もあったと思うの。
舞はいつまで経っても“伊達遥の弟子”というイメージを脱却できなかった。
遙の引退後は“鳳凰伝承”という肩書きを背負わされて、マスコミもファンも舞に過剰な期待をし続けた。
“結城千種からベルトを奪いエースになれ!”って。
会社もそれを期待したカード編成になっていたし、舞の感じるプレッシャーは相当のものだったはずよ。
私も舞には期待していたけど、みんな千種の凄さをわかっていない。
簡単に超えられるような相手じゃなかったわ。
私が超えることができなかった遙の壁を超えた人間が、NEW WINDの11年の歴史で3人だけいる。
一人は遙の後のエースとなった千種。残りの二人はカンナとめぐみ。
この3人の実力は私たち1期生を圧倒するものだった。
私たち1期ではだれも持つことがなかった才能の持ち主であり、この3人の”誰もがエースになりえた”の。
だけど実際エースと呼ばれたのは千種なわけよ。
わかるでしょう?才能あふれる、あとの二人を抑えてエースと呼ばれたのだから。
舞は確かに実力者だったけど、本当の意味での師匠越えは出来なかった。
遙を超えた存在である3人のさらに頂点に立っていた千種に、遙を超えられない舞が挑む。
・・・こう考えると過剰な期待だったことがわかるでしょう?
それでも舞は頑張って頑張ってMAX WIND女王の座までたどりつけた。
本当によく頑張ったと思うわ。たとえ衰えた千種が相手だったとしてもね。
“鳳凰伝承”
エースにはなりきれなかったけど、遙の魂を継いだ立派なメインイベンターだったと思うわ。
あとどれくらい現役でやれるかわからないけど、最後まで楽しんでほしいわね。
だけど、経験しているからわかるけど・・・あの“イメージ通りに体が動かない”もどかしさ、悔しさってキツイのよ。
完璧を目指していたのに、全然完璧じゃなくなっていく・・・あの悔しさ、情けなさってなかったわ。
そういう意味では千種は偉いと思うし、凄い。あの状況であれだけ女王の座を守り続けたのだから。
初代エース遥、2代目エース千種がこれだけの実績を残しているのだから、3代目として認知されつつある龍子はさぞプレッシャーでしょうね。
これから先、どんな女王像を作り上げていってくれるか楽しみよね。
初代エースは私じゃないのかって?
いいえ、違うわね。確かに私がトップの時代もあったけど、エースではないと思う。
“エース”の条件を満たしたのは遥と千種だけよ。
まあそう言われるのは悪い気はしないけれど。
私の前には遥がいたし、妹の前には千種がいて、今は龍子がいる。
私はエースにはなり損ねたけど、まだ妹にはチャンスがある。
今ならまだ完全なエースになる前に龍子を止める事が出来るはずよ。
頑張ってほしいわね。
☆佐知子(※ラッキー内田)の退団・復帰・・・そして引退☆
たぶん一番謎なのはこの部分じゃないかしら。
佐知子は怪我が多くて、その資質を発揮できていなかった。
同期には遅れをとり、後輩にはドンドン追い抜かれていく。
彼女自身はシングル王座への道をあきらめてはいなかったけど、実力の差は明らかに開いていたわね。
もっともあの頃は私の衰えも認めたくはないけど著しい時期だったし、あまり佐知子には構っている余裕はなかったけど。
あの段階でヒザは相当調子悪かったらしく、何度も興行を休んでいた。
将来の生活を考えて、あの人は佐知子に引退を勧めたのだけど、佐知子はそれを拒否した。
結局思い切って長期欠場して完全に治すことになったのだけど”治るまでの期間は試合が出来ない。”ということも考えて、一度退団し、新事業であるハッピープロジェクトの代表業務をこなしつつリハビリをして復帰を目指していたの。
ちなみにハッピープロジェクトは私たち一期生の大量引退後を見据え、選手層を確保するために考えだされたのよ。
佐知子の復帰試合は、私もレフェリーとして参加したからよく覚えている。
退団する前よりも体に張りがあったし、動きも以前よりよかった。
たぶん佐知子のピークってあの復帰戦だったと思う。
直後にケガさえしなければ、王座も奪取できたと思えるくらい状態はよかったわ。
せっかく復帰したのに、その直後の大ケガ・・・みんな愕然としたわよ。
「でも、私はなんの不安もなく試合が出来たんです。満足ですよ。」
といったときの佐知子の表情は忘れられないわ。
その後再復帰したけど、もうラッキー内田というプロレスラーの動きではなかった。
大きなセレモニーもなくひっそりとプロレスから卒業していった佐知子。
どんな思いだったのかしら・・・
今はハッピープロジェクトの代表として、幾多の団体の興行を観てまわってるけど、たまに会うとこんな事を言っているの。
「リングって外から見るよりも、中から見たほうがいいわね。」
って。
その気持ちはわかるわね。
(続く)
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NEW WINDの物語を知ったのは
南さんが活躍していた頃だったので
個人的には「N'sGAME=南さんの物語」の
イメージが強いのです。
何か機会があるたびに出てきて欲しいなあ。